自宅 肉粽

本日は農暦5月5日の端午節だ。

よく、日本人は季節の変化を大切にするなどという。それは、江戸時代はでは確かにそうだったかもしれない。ところが、明治時代になって太陽暦を導入した際、旧暦に行われていた行事をそのまま新暦の日付で行うということになった。まことに頭が悪い。

その結果、季節ごとの行事は本来の季節からずれることになったが、日本人はまったく気にしなかった。

例えば旧暦の正月は年によって前後するものの立春と近い。だから「迎春」「新春」というわけだ。だが、明治以降の日本人は、春から遠い新暦1月1日でも「新春」などと言っても気にしない。

日本人は季節の変化など大切にしない。大切にしているのは、単に年中行事をルーチンワークとしてこなすことだけだ。だから季節とずれていても気にしない。

日本の新暦5月5日に行われる「端午の節句」は、端午節とは一切関係がない。



正しい端午節

古来5月5日は「悪日」とされ、菖蒲の葉を軒下に吊るして魔除けとした。

また、湿度が高くなるのに合わせて薬草を漬けたお湯で沐浴して皮膚病を防ぐといことも行われていたようだ。

そして粽子を食べる。

端午節に粽子を食べる風習は、屈原に由来があるという。

戦国時代の楚の宰相・屈原は国のために反秦の姿勢だったが、親秦派の讒言や秦の謀略により王都から遠ざけられた。その結果、楚は秦に侵略される。絶望した屈原は汨羅江に身を投げて入水自殺した。

屈原を惜しんだ人たちは、丸めた飯。いわばおにぎりを川に投げ込んで屈原の死体が食べられないようにした。

屈原が自殺したのが5月5日であり、そのために端午節には粽子が食べられるようになった。

おにぎりが粽子になったのは、その後屈原と名乗る幽霊が現れ、おにぎりでは蛟龍に食べられてしまうので、蛟龍が嫌いな楝樹の葉で包んでほしいとお告げしたため、それより後飯を葉っぱで包むようになったという。

また、屈原の自殺を知った人々が船を出して先を争って死体を探したことから、ドラゴンボートレースが始まったとも言われている。

というのは、全て後付設定だ。

中国では古代より川に飯、もしくは粽子を投げ込んで龍王に捧げ、洪水を起こさないように祈願する風習があったらしい。

屈原云々の話が作られたのは、屈原の時代から700年ほど後。しかも、志怪小説に載せられた話だというからまったく信憑性はない。

また、中国での研究によると、ドラゴンボートレースは屈原の時代より1000年も前にすでにあった風習だともいう。

胡適に至っては屈原の実在すら疑っている。

この伝説については、屈原がそのまま伍子胥や介子推に入れ替わっているものもあるようだ。

日本では、中国の菖蒲を吊るして魔除けにするという風習と、薬浴をするという風習がごっちゃになり、なぜか風呂に菖蒲を打ち込むことになった。

そして、菖蒲を尚武にかけるというダジャレから、武者人形を飾るようになった。

いかにも外来文化を上辺だけパクって好き勝手に改変する日本人らしい。

農暦の行事をそのまま新暦の日付に移したために、菖蒲をハウスで促成栽培するなどバカの極みだ。

端午節なので粽子食う

端午節に合わせ、アメ横の中華食材店で肉粽を買っておいた。中国人は日本人と違って季節の行事を大切にするから、元宵節の前には汤圆が売られているし、端午節の前には粽子が売られている。

2個で500円のものとこの3個で500円のものがあったので、生来貧乏性の自分は3個のほうを選んだ。

それで今日、買っておいた肉粽を蒸した。電子レンジで2分と書いてあるが、うちにそんな文明の利器はない。

都内の中華食材店で売っている粽子はみんな小粒だ。

西安に留学中、学校の近くの洋菓子店ではたまに肉粽が売られていた。ケーキはまずいがなぜか粽子はうまい店だった。それで、よく買って食べたものだった。中には半切りのゆで卵と豚の角煮の塊が入っていてそれはもううまかった。

その粽子はこれより一回り二回りは大きかった。

中には小さな肉の塊がちょっとだけ。

まあ3個500円のやつだからしかたがない。

それでも味はそんなに悪くはなかった。

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