池袋 永祥生煎館 生煎包

ただの生煎包を「焼き小籠包」なる名称にした人は天才だと思う。普通はこんなこと思いつかない。蒸籠を使わず蒸し焼きにする生煎包を、常識があったら「焼き小籠包」などと読んだりはしない。

だが、日本で「生煎包」として売り出しても日本人は見向きもしなかっただろう。「焼き小籠包」だからこそ一時ブームのようなものが起きたのだ。



朝三暮四

それまでまったく売れなかったという豚の首から肩周りの肉を、脂肪分が多いからと「豚トロ」と名付けて売ったら、爆発的に売れるようになったという話を聞いて、『荘子』『列子』にある「朝三暮四」の寓話を思い出した。

実質はかわらないのに上辺の情報に惑わされるバカなサルの話だ。

「焼き小龍包」なるものは、小籠包が日本で認知されるようになってきたころに登場した。それは、だだの生煎包に湯包の要素を加えた小吃にすぎなかったが、日本人は名前に惑わされて群がり、一時は行列ができていた。

なるほど豚トロと似たような話であり、朝三暮四と似たような話だ。

もちろん自分はそれがただの上海の生煎包であることを知っていたから、バカ面下げて並ぶようなことはしなかった。

小籠包

なぜ日本人が「焼き小龍包」などという常識的にはありえない名称に騙されたかというのは簡単な話で、そもそも小籠包がなにかをわかっていないからだ。

小籠包=湯包ではない。小籠包は蒸籠で蒸す小ぶりの包子、饅頭の総称だ。だから小籠包の中には単に小型の肉まんのようなものもある。

湯包はその中の一種に過ぎない。

それを知らず、小籠包=小籠湯包だなどという勝手な定義を作っているから、単なる生煎包を焼き小龍包などと言われても疑問を持たない。

朝三暮四のサルというのは、紀元前の頭を使わない庶民の寓意であるが、現代日本人もいたいして変わらないようだ。

生煎包

生煎包はまったくの庶民の小吃で、それゆえ起源は定かではないようだ。

ただ、100年ほど前の上海周辺で作られだしたというのは確かなことらしい。

もともとは茶館で出すお茶請けの小吃だったものが、人気を呼んで街角の屋台でも売られるようになったとか。

上海では生煎饅頭とも、単に生煎とも呼ばれるという。

ちなみに生煎包は台湾でも人気の屋台小吃だ。戦後敗残国府軍とともに台湾に逃亡した上海系難民が伝えたものだが、台湾の生煎包は肉まんぐらいの大きさになっている。

そういう大きめの生煎包がもともとあったのか、台湾で巨大化したのかは定かではない。

池袋駅近くの永祥生煎館も、ブームのころには行列ができていた。だが今は並ぶ必要もなく入れる。

ブームに流されて並んでいたような頭の悪い日本人の姿はないかわりに、中国人客は多く、今ははやりに乗って鸭脖なども売っている。

店内ではすごい勢いで生煎包が作られていく様子を見ることができる。

最近自分の中では上海料理が熱いので、youtubeで上海料理の動画など探していたら、日本の焼餃子の原型が上海式の锅贴であることがわかった。锅贴は西安でも売られていたが、西安のものは日本で「棒餃子」などと呼ばれているものに近い形状で、焼き方も微妙に違う。

だから、長いこと日本の焼餃子は煎餃と锅贴のハイブリット的なものだと思っていたが、単に上海の锅贴をパクっただけのものだった。

上海の共同租界にいた日本人か、上海出兵時の日本兵が現地で上海式锅贴を知り、日本に持ち帰ったのだろう。

上海の锅贴と生煎包はまったく同じ焼き方なので、同じ鉄鍋で锅贴と生煎包をいっしょに焼いて出している店もあるようだ。

生煎包は4個か6個の2種類。1つ100円というのは割高にも思えるが、店頭で手作りしているのを見るとそのぐらいの値段でもいい気もする。

日本人の「小籠包」のイメージに合わせるように、無駄にスープがいっぱいになるように作ってある。

味自体は悪くはない。ただ、湯包は皮が柔らかいからこそ中のスープと口の中で馴染みやすいのに対し、これは皮の下のほうがカリカリに焼かれているので、スープと皮がちぐはぐに感じる。

もう日本人の行列もないのだから、日本人に向けて小籠包を装わず、普通の生煎包を作ればいいのではないか?

永祥生煎館の場所

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク